末森城跡


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最近、押水町の末森城跡付近に看板がやたらと建ち始めたので、じゃぁ行ってみようと
行って参りました。(もしかして町は観光地化するつもりなのか?)
私自身、押水町に生まれ育って ン十何年、なぜか行った事も無かったのでこんなHPを
運営している事もあり 「じゃぁ、行ってくるべぇ〜」と相成りました次第です(笑)。
しっかし!、看板に思いっきり騙されました。写真を見れば分かります(笑)。


ところで、平成14年1月からNHK大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」が始まりました。
もしかしたら末森城の事も出てくるのかもしれないのでこの末森城跡は要チェックですね!(笑)。
無断リンクはまずい(って言うか関連ページ多すぎてリンクしきれない)のでGoogle等で
「末森城」「末森合戦」「前田利家」「佐々成政」等で検索してみてください。山のように出てきますから。


02/04/14写真追加(下部)

まず、押水町竹生野地区から山の方に向かう細い道があって、
そこを登っていくと車が数台止められる駐車場があります。その
駐車場付近にあるのが左のプレート(看板)です。
地図と城の説明が載っています。
以下、原文そのままです。
城の説明
末森城跡は、羽咋郡押水町の北部に位置し、海岸線からの距離が最も狭まった
標高138.8mの末森山に所在する、中世の山城です。
城の築城年代は不明のままですが、昭和60年度から4ヵ年にわたって実施されました
詳細な分布調査や発掘調査などから、だいたい15世紀後半から16世紀にかけての
建造物跡や輸入された品々、生活用具、あるいは鉄砲の玉などが発見されました。
           
くるわ
城を形作っている曲輪(城郭)と呼ばれる平坦な部分は、合計すると約3万平方メー
トル以上あり、約20万平方メートルの山中に広がっています。
また、この城は口能登の要衝に位置することから、しばしば合戦の舞台となり、能登
の中世戦国期を代表する歴史的に重要な城の一つと言えます。
特に末森城の名を有名にした合戦に、
前田利家と越中の佐々成政との間で行われた
『末森合戦』が広く知られ、加賀百万石があるのは、この戦いに勝利したことによ
るとされています。


駐車場からR159をまたぐ橋を渡って、うっそうとした山道に
入っていく事となります。
ちなみに私が本丸の到着する迄にすれ違った観光客は3人でした。
「こんちには」と挨拶してくれましたので私も挨拶しました。ちなみに
全く知らない人なんですが、気分はもうほとんど登山気分。


 

とっても急勾配の坂が延々と続いていました。
行っても行っても「本丸へ」の看板ばかり!
気分的にはもう1キロぐらい歩いたんじゃないだろうかと
思うくらいの距離と坂道!「ここまで歩かされて、城跡に
何も無かったら怒るぜ!」と思いつつすでに足はヘロヘロ。
それでも我慢して登っていくと!!


おぉーっ、やっとそれらしきものが見えてきた。
ここから丘に登ると…。


やっと、本丸跡に着いたらこの通り!
はて?



特に目立ったのはこの3つだけ(涙)
左上:プレート(看板)本丸及び主要郭の説明
右上:前田家と戦った佐々家の墓?(新しいぞ!)
左下:前田家の植樹記念の柱か?




プレートに書いてあった説明書きは下の文です。

本丸及び主要郭の説明
この郭は、末森城中最も高い位置にあり、近世に入ってから「本丸」の名前でよばれています。
昭和61年度(1986)に礎石確認のための調査を実施したところ、本丸主門の基礎石を始めとし、数十ヶ所の礎石と思われる反応が得られました。このうち、数ヶ所については、起訴石と必要とする、かなり重量のある構造物があったことが推量されます。


なお、本丸にあった建造物は、末森城廃城後それぞれ移築されており、本丸主門については、金沢状の鶴の丸南門として移され、宝歴9年(1759)に焼失するまで実在していたほか、本丸の建造物については、末森合戦に功績のあった者に払い下げされており、これも明治の大火で焼失するまで津幡町地内に実在しておりましたが、現在では伝承以外にその威容をしる手掛かりは無くなってしまいました。ただ、町内の幾つかの寺院については、末森城の建造物の解体によって得られた、多くの建築材を転用したことも知られており、今後の調査によってどのような建造物があったかを知る手掛かりになるものと考えられます。

この本丸を中心として、北側に前田利家が「末森合戦」時に入場した搦手(からめて)長坂が、南側に二の丸、三の丸、若宮丸、若宮とつづき、この主要な郭を囲むように二重に腰曲輪(こしくるわ)が巡っています。また、東側の谷あいには馬掛場(うまかけば)の通称をもつ大きな平坦面があり、城主の館が在ったのでゃないかと考えられています。西側には腰曲輪を形成する一方槍場(やりば)の通称を持ち、ここから向山(むかいやま)砦に連なる武者道が、三の丸・若宮丸間の大手道と平行して伸びています。


最後に
城跡なので何も無いとは思っていましたが、本当に何もありませんでした。
正直申しまして、苦労して坂道を登った甲斐はありませんでした。
勉強のために見に行かれるのは結構ですが、はっきり言って観光目的で行く所では
ありません。加賀百万石の歴史を勉強する方はどうぞ行ってみてください。
お年寄にはかなりキツイ坂道です。宝達山登る方が楽かも(笑)。
私も明日起きたら筋肉痛になっている可能性大です。(^^;
帰り道の途中に、若いお兄ちゃんとすれ違いましたが、愕然としてるかも(笑)。


02/04/14に再度立ち寄りました所、石碑、看板が増えていましたので追加しました。

tosimatu.jpg 上方の駐車場に建っています。
徒歩で20分と書いてありますが、
私の足ではもっとかかりました(汗)

sekihi.jpg 新しい石碑が橋の向こうに出来ていました。
文字を読みたい場合は石碑をクリックすれば
大きくなります。




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