故 北橋茂男氏銅像建立趣意書


 北極星産業合名会社社長 宗教法人「やわらぎの協会」代表役員 故北橋茂男氏は、金沢大学病院に入院加療中、病俄かに革り、昭和四十一年二月十四日急逝さる。享年六十八。
 氏は、明治丗三年七月廿三日、石川県羽咋郡志雄町敷浪に 父福松氏の次男ととして生を享け、幼時母を衷い、貧しい環境のなかにも人を恨まず、世に物ねずして明朗、常に鉄の如き自身と高き誇りを胸に抱いて齢十三の春、大阪の酒店に丁稚奉公中、食堂の経営に将来の目標を定めるや、直ちに上京してフランス料理の技術習得に励み、刻苦三年の後、大阪に戻りて二十三才の秋、1介の串カツ屋台店を振り出しに、粒々辛苦の努力は、遂に実を結んで大阪市内の要所、要所廿三ケ所に本支店の綱?を綾らすパンヤの食堂の開店に成功、續いて昭和十一年には、南区難波新地に近代的感覚を誇る一枚ガラス張窓の異色ある設計の下に、鉄筋五階建食堂ビル北極星を建設して、商都大阪の中央部に進出し、食堂王としての地位を築き上げた。
 やがて第二次大戦を迎え、その戦禍は無残にも本拠北極星のみを残して、他はことごとく灰燼に帰したが、復興に精魂を傾け、満々たる闘志はあらゆる困難を克服して支店数も漸次増加して、戦前を凌ぐ隆盛を示した。
 愛郷の精神に燃え、情誼に厚く後進の指導は勿論神社佛閣、社会事業施設、学校等に多大の寄附をよせ、昭和廿八年紺綬褒章を受賞。
 晩年、郷里敷浪御林山に私財を投じて、自ら願主となり「やわらぎの郷聖徳太子殿」を建立、太子のみ教えの傳道に努めたが、氏独特の経営の才は、食堂献立を通じて国民体位の向上に努めたほか、衣、食、住の各方面にも創意工夫を凝らし、戦後思想の乱れと男女服装の混乱を憂いて、着用簡便にして風格ある「やわらぎ服」を考案して朝日新聞紙上に掲載されるなど、多方面ににわたる八面六臂に非凡な活動は世人を驚嘆せしめた。
 資性質実にして、一枚一枚煉瓦を積み重ねる如き堅実な経営は、世の認むるところとなり信望を博して、政財界知名の士に交友多く、なお将来に多大の夢を抱きながら、雄?遂に空し。
 まことに痛恨の念もだし難く、茲に有志相諮り、氏の銅像をゆかりの地「やわらぎの郷」に建立してその遺徳を偲び、郷党の誇りを永く傳えんとする次第である。
 昭和四十三年十月七日

故北橋茂男氏顕彰会


注意:デジカメで撮影したものを解読してテキスト化したので間違い箇所があるかもしれません。